中学生の子育てに疲れた…思春期・反抗期の接し方

中学生の子育て、大変ですね。思春期を迎えた子供はデリケートで接し方にも工夫が必要です。そこで、子どもが思春期に反抗するのは何故なのか?そして、その反抗に対して親はどのような心構えで、どう対応していけばいいのかを、まとめてみました。

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思春期に反抗するようになるのはなぜ?

中学生

突然ですが、守破離という言葉をご存知でしょうか?

守破離(しゅはり)は、茶道、武道、芸術などにおける師匠と弟子の関係のあり方の一つで、修行における成長の段階のことを言います。

まず最初は師匠に言われたこと、基本の型をしっかりと「守る」ところから修行の道が始まります。武道であれば師匠の教え、型、技を忠実に守り、確実に基本を身につける階段ですね。

その後、その基本の型を自分なりに追求することで、より自分に合った、より良いと思われる型を追い求めることで、師匠の教えである基本の型を「破る」。今まではただ言われていたことをやるだけだったのに対して、ここでは、自分の頭で考えて、より良くするために心技を発展させる段階です。

そして最終的に、自分自身が追求したものを確立して、師匠の教えから自立し、最初の型から完全に「離れ」て自由になることができる。茶道で言えば「離」は、一つの流派から離れて、独自の新しいものを生み出し確立させる段階となります。

この守破離というのは、実は子育てととてもよく似ているように思います。

子どもが自分で何も判断できない幼い間は、子どもは親の言うことを聞いて判断することしかできません。言葉遣いやマナー、ルールなどは、親から学びます。親の言うことを聞くことで、危険から身を守ることができたり、人としての基本的な土台ができます。

しかし成長するにつれて、しだいに親の言うことを破るようになります。これは、非行に走るということではありません。

成長したがゆえに、親の教えよりも価値があるように思えるものを優先するようになるということです。自分の心を持ち、掘り下げ、追求したからこそ、親からの教えを破るようになるのです。

さらに成長をすれば、子は、親から離れたくなります。それは、決して親が嫌いになって離れたくなるのではありません。

自分の成長のために、親から離れて自立しようとするのです。親がいつまでもそばにいては、成長の妨げになってしまうから、子供は親から離れていきたがるのです。これは親としては喜ばしいことです。

この流れが、子育てにおける「守破離」です。

「守⇒破⇒離」と後の段階になるにつれて、だんだん親に対して反発をしているように見えます。

その過程では時に問題行動のように見えてしまいますが、そうではなくて、成長しているんですね。

では、子どもが思春期に反抗するのはなぜか、ということですが、これはまさしく「破」にあたるんですね。

思春期に入った子どもは、今までのように親に依存することを次第に嫌うようになり、同時に少しずつ自立へと向かっていきます。

心配する親の干渉に対して反抗的な態度を取るのは自立への過程です。親の世話焼きをうっとうしく感じるのは自立しようとしているからです。

反抗そのものを完全に否定してしまうと、子どものごく自然な成長過程を否定することになってしまいます。

思春期を迎えた子どもは、心の成長によって自分自身を客観的に捉えることを学び、身につけていきます。しかしそれと同時に、親に対しても客観的な目をもつようになります。そして、自分と親との考え方の違いに批判的になるのです。

しかし親への依存心もまだ残っているので、その依存心と自立心が心の中で対立し、うまくバランスがとれずに心が不安定になりやすくなります。

親に依存したくても素直にはできず、今の自分の存在が受け入れられているのかを確認するために時には非行的な言動をとってしまうこともあります。

しかし、これもあくまで人間としての成長の過程なんですね。親にしてみれば厄介ですが、こういった過程を経て、子どもは大人になっていきます。

もちろん、反抗期には個人差があると思いますが、まぎれもなく本人が「成長している」姿なのです。

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反抗期は歓迎するもの?

反抗期は、子どもが自分の頭で物事を考えて、自我を確立していくための期間です。なので、実は「反抗」というのは大人側から見た価値観でしかありません。少し捉え方を変えると、子どもの自我が伸びていく期間といえます。

私たちの感情は、物事に対する捉え方で大きく変わってきます。「悪いものだ!」と決めつけた捉え方をすると、否定的な感情で、それに対する対策や対処法を考えてしまします。

しかし、捉え方を「別に悪いものではない」という風に変えてしまうと、冷静な気持ちで、目の前の出来事と向き合うことができます。

なのでここでは、反抗期を「自我伸長期」として認識し直すことが、反抗期の子育てにおける最大のポイントなんですね。

階段を上がる2

幼い子どもは完全に親に依存しているので、成長過程における心の葛藤を親のサポートを受けて乗り越えていきます。しかし成長し、反抗期を迎えてからは、その心の葛藤を自分の力で乗り越えようと試行錯誤するようになります。

いずれ大人になれば、自身の葛藤は自分で処理しないといけないので、大人の入り口に立った思春期のうちから、自力で問題解決する習慣をつけることは大切なことです。

このとき親ができることといったら、未熟ゆえに取り返しのつかないような大きな失敗をしないようそっと見守りながらも、小さな失敗はどんどん繰り返して考えていくという子どもの取り組みを応援してあげるくらいしかないんですね。

大人の入り口に立った思春期の子どもは、自分と同じ感性の子どもとグループを作ります。そして、周囲と同じ行動をとり、自分の存在価値や居場所を外につくり、親からの自立を目指していきます。

そのグループの行動がたとえ校則違反であっても、大人から見ると問題行動であっても、その時の子どもはなかなか親や教師の意見を受け入れようとはしません。

こんな時は、大人から見て明らかに間違っていると思える事については「それは間違っている」とはっきり伝えた上で、長引かせずにさっと話を終わらせること。

反抗期の子どもは自分の行動が間違っていることはどこかで分かっていても、言い合いになるとなかなか引こうとしないんですね。そこで自分の意見を通そうとすることこそ、親の価値観ではなく、自分の価値観を大切にしていきたいという気持ちの表れなんです。

要は言えば言うほど反発します。

なので、伝えるべきことを短くハッキリ伝えたら、子どもがそのことを自分なりに考えられるように時間をつくってあげます。ただ親の意見を頭ごなしに押し付けるのではなく、子どもが自分の頭で考えて、自分自身で答えを出すことが大切です。

こういった方法をとることで、子どもなりに自分の行動を律していくことを覚え、反抗期の葛藤を自分で解消することができるようになります。

中学生の子どもは、まだまだ未熟な子どもですが、未熟なりに一生懸命考えたり、感じたり、成長しようとしています。最初から正しい行動がとれるわけでもなく、最初から立派な大人になれるわけではありません。

しかし、そうした未熟さも、全ては大人になるための大切なプロセスです。

それを理解したうえで、子どもが度を超した行動をとらないよう見守りつつ、子どもを信頼し、大人としての余裕をもって接することが、反抗期の子育てを乗り越えるための秘訣となります。

そして、子どもは反抗しながら親の態度をうかがっている部分もあるので、子どもの主張にしっかり耳を傾けて受け止めながら、理不尽な主張には毅然とした態度で接することが大切です。

子どもの思春期、反抗期にどう立ち向かうか

子どもが反抗するのは「1人の独立した人間として認めて欲しい」という主張であり、一種の自己表現です。

自立

反抗を始めた子どもたちは親を嫌っているというわけではなく、自立しようと躍起になるうち、思うようにいかないストレスを身近な大人にぶつけるようになります。

反抗したくて反抗しているというよりは、自分の中に出てきた今までにない気持ちや葛藤をどう処理していいか分からず、むしゃくしゃしてしまったり、自分の中に起こっている変化が不安な状態なんです。

思春期は、親や大人にとって難しい年頃なのはもちろんのこと、当の子どもたちにとっても、ものすごくしんどい大変な時期なんですね。

私たち大人であっても、自分の感情がうまくコントロールできずにイライラしたり、誰かに対してキツイ言い方をしてしまう時は、気分が良いものではありませんよね。嫌な気分を抱えているから、嫌な態度をとってしまって、その態度をとってしまったことで更に嫌な気分になります。周りはもちろんしんどいですが、当の本人もその最中にいるのは辛いものなんです。

子どもに反抗的な態度をとられると、ついカッとなって怒鳴ったり手を出してしまいたくなるかもしれませんが、そういった対応では子どもはますます反抗的になってしまいます。子どもは中学生になっても、ちゃんと自分の話を聞いてもらえる、受け止めてもらえる、包んでもらえるという安心感で不安定な気持ちを落ち着かせます。自立心が芽生えたとはいえ、まだまだ親のサポートが必要なんですね。

しかしサポートとはいっても、幼い子どものように口や手を出す必要はありません。

反抗期の子どもに対しては、親自身がどっしりと構え、あれこれと口うるさく言わずに子どもの成長を見守ることが大切です。「とにかく無事で、健康でさえいてくれればいい」という気持ちで、思春期や反抗期を包み込むように受け止める姿勢でいる。

親自身にも、ある程度は子どもを信頼する心の強さ、子どもの成長を見守る忍耐強さ、放っておく勇気が必要なんですね。

思春期の子どもとの関わり方

では次に、思春期の子どもに対して、普段どういう接し方をすればいいのかを具体的に見ていきたいと思います。

この内容は、秀嶋賢人さん著書の「思春期の心をつかむ会話術」を参考にまとめさせていただいています。

思春期・反抗期の子どもは想像以上にデリケートだし、こちらが思うようにはなってくれませんが、そんな中でも、子どもにしてやれることはたくさんあるんですね。

難しい年頃の子どもとの親子関係を円滑にするためにも、押さえておきたいポイントです。

挨拶はきちんとしておく

まずは、「おはよう」「お帰り」「おやすみ」の挨拶をしっかり親からすることが大切です。たとえ子どもが無視しても、子どもの反応に振り回されずに、主体性をもって挨拶を続けること。子どもが無表情でも、こちらは機嫌よく、笑顔を保つことが大切です。

子どもが無視をしても、怒ったり不快に思ったりしないで、「今日も体は健康そうだな、よしよし」くらいの気持ちで子どもを観察しておく。

親からの挨拶は、子どもに「あなたのことをきちんと見てるよ」「あなたはこの家に必要な存在なんだよ」というメッセージを感じさせます。

私は、私が思春期で反抗的だった時も、いつも母親が笑顔で挨拶してくれていたのをよく覚えています。

学校で嫌なことがあって無愛想で帰ってきても、ただただ笑顔で「おかえり~!」と玄関まで迎えにきてくれていました。

友人との関係で悩んでいる時は、正直親のことなんて全く考えられません。どんなに優しい言葉をかけられても、そっけない態度をとっていたことでしょう。

それでもそんな私を責めずにただそっとしていてくれましたし、こちらの気分が変わって親に話しかけたときは、何事もなかったかのように笑顔で対応してくれていました。

思い出す母の顔は、いつも笑顔しかありませんでした。

しかし、親もひとりの人間です。懸命に愛情をかけて育ててきた子どもが、さも一人で育ってきたかのような顔をして、憎たらしい口をきいてきたら、どう思うでしょうか…。

優しい言葉をかけ、見守り、心からその子の幸せを願っているのに、ただただ冷たく失礼な態度で接してきたら、どう感じるでしょうか…。

母自身、子育てや自身のことでも大変なこともあっただろうと、大人になって分かるようになりました。

分かってから振り返ってみると、あの頃いつも見せてくれていた笑顔の裏に、どんな苦労や心配があったのかと思うと、今でも目頭が熱くなる思いです。

私自身の経験もあって、毎日の何気ない挨拶がいかに大切なのか、明るく機嫌のいい親の様子はどれだけ救われるか、子どもの目を見てきちんと挨拶することの重要さを感じます。

私は間違いなく、母親の「いつも見守っているよ」という気持ちを笑顔の挨拶で受け取っていました。

こういうちょっとしたことが、実はものすごく大切なんですね。その時の子どもは、その親の愛が頭では分かりません。私も分かっていませんでした。だけど心の奥に無意識に伝わるものが必ずあります。その時には無表情で無視を通す子どもでも、心のこもった挨拶は必ず子どもの心に蓄積されていくのです。

「ありがとう」を伝える

これは、挨拶よりも少し難しいですね。伝え慣れていないと、気恥ずかしさもあります。だけど、日頃から感謝の気持ちを伝えることは、とても大切だと思います。

よく考えてみると、普段子どもに対して「ありがとう」なんて考えたことがない、という方も多いんじゃないでしょうか。

特に子どもが反抗的で、気持ちや言動が理解できないときは、相手を責める心になってしまいがちです。そういう状態では、なかなか「ありがとう」という気持ちが出てきにくいかもしれませんね。

そんな時でも、ちゃんと探せば「ありがとう」は出てくると思います。

たとえば、「元気でいてくれてありがとう」

そんなことは当たり前で、別に感謝するようなことでもないと思われるかもしれませんが、子どもが元気でいてくれることが親としては一番有難いことだと思います。

長年もってきた「当たり前だから感謝するほどじゃない」という気持ちを今一度見つめなおし、子どもが何かをしてくれたら「ありがとう」、嬉しく思ったら「ありがとう」と伝えてみてください。

人は誰でも、人に認めてもらいたいという承認欲求や、人から喜んでもらえる存在でありたいという気持ちを心のメカニズムとしてもっていると言われています。

別に大したことをしていなくても、それでも人から「ありがとう」と喜んでもらえれば少しくらい嬉しく思うのは人として自然なことです。

それが、「元気でいてくれてありがとう」なんて言われたら、「自分はただ元気に生きているだけでも、親に喜んでもらえる存在なんだ」と感じることができます。それが、どれほどの自己肯定感を味あわせてくれるでしょうか。

子どものほんの小さなことでも、きちんと認めて感謝していくことができれば、きっと親自身もそこから気づくことも多いのではないでしょうか。今まで当たり前だと思っていたことが、輝き出してくるのですから。

答えを押し付けない

私たち大人は、 つい子どもに「正解」を教えようとしてしまいます。

例えば、子どもがトラブルを起こす、人を傷つける、規則や約束を守らない場合、大人として良くないことはきちんと伝えないといけません。

だけど、子どもの間違った判断や失敗したことに対して、ただ叱ったり責めたりするだけでは、子どもの心には何も届かないでしょう。否定は、かえって子どもの心を閉じさせてしまうことにもなります。

わたしたち大人は、その行為が正しいか間違ってるかだけを、自分の判断基準で決めつけてしまいがちです。

そして、自分の中にある「正しさ」を押し付け、言う通りにさせることで問題を解決させようとしてしまいます。

だけどそれでは、子どもは自分の中の何が原因だったのか、これから自分に何が必要なのか、同じことを繰り返さないために今後どうすればいいのかというのを、自分で考えることができなくなってしまいます。

全ての経験は、成長のチャンスでもあるのに、そのせっかくのチャンスを奪ってしまうことになります。それでは、成功につながる失敗にはなりません。

思春期のこの時期に、ある程度の失敗や経験を重ね、その都度しっかり自分の頭で考えて、自分自身の心や行動を見つめることが大切なんですね。

しかしこういった子どもの成長には時間がかかるので、大人の目から見れば何も変わっていなかったり、何も考えてないように見えたりするものかもしれません。

そんなとき親は、我が子に同じ失敗をして欲しくないという思いからついつい口うるさく言いたくなりますが、そこはぐっと我慢。

もし声をかけるなら親の価値観や正解を押しつけるような言い方は避けて、「どうした?何か困っていることはない?」と、聞き出す程度でとめておくこと。

そして子どもが何か話をしたときは、絶対に子どもの言葉を否定しないことです。

この時の子どもの心はとてもナイーブです。自分自身に自信があっての発言ではありません。

自分自身の中でもがいて、一生懸命、自分なりの正解を探しています。

自分の気持ちを親に話すのは気恥ずかしさや「こんなこと話してもいいのかな…」という思いがあることでしょう。

そんな時、自分の話を中断されたり、「それは違うよ」や、「そんなことで悩むなんて情けない」などの否定や指摘があれば、どれだけ話したことを後悔するでしょうか。

たとえ、明らかに子どもの意見が間違っていても、その場で否定することなく、全部聞いてやることが大切です。

穏やかに相槌を打って、子どもの気持ちに寄り添う姿勢でいること、それだけでも子どもは「自分の気持ちを理解しようとしてくれているんだ」と安心します。

今は幼く未熟なため、分からないことも多くて当然です。最初から人格者みたいにはなれません。だけど心配しなくても、子ども自身のスピードでちゃんと学んでいきます。

子どもの成長を待つのは、じっくりと見守る根気が必要だし、子どもの歩みを信じて待つ心の広さが必要ですが、そこをぐっとこらえて見守ることも親としての役割なんですね。

今がもし、会話もないような関係であるなら、まずは子どもが話をしやすい環境をつくるところから始めてみる。「どうした?困っていることはない?」と声をかけてみる。否定や肯定は抜きにして、「この子は今一体どんなことを考えて、頑張って成長しているんだろう」という気持ちで、子どもの成長を見守ること。

こういったことを「厄介なこと」と捉えずに、「自分自身も成長できる良い機会」と捉えると、子の成長とともに自分の成長も応援することができそうですね。

親の意見の伝え方

親は、自分の子供に対して、「こうであって欲しい」「もっとこう出来るはず」という、期待にも似た気持ちを、意識していなくても少なからず持っているものだと思います。

だから、子どもが問題行動を起こした時や上手くいかない時、自分の価値観や正しさに添って子どもの行動や考え方を正そうとしてしまいます。

しかし、親の意見や価値観を「正しさ」のように子どもに押し付けようとすると、子どもはそれを敏感に感じて、親の意見を嫌うようになりますし、子どもの反発にこちらも疲れてしまいます。

そこで、親の意見を伝える時には、「こう考えるのが普通でしょ」とか「こうしなさい」という世間体なものではなく、「こう考えてみるのはどう?」と問いかけるようにする。すると、それに対して子どもは「うーん、どうだろう?」と考える余地が生まれます。こうすることで、親の意見を伝えながらも、ちゃんと子どもの考えも尊重する姿勢があることを示せます。

また、自分の意見や考えが、必ずしも正しいわけではないですよね。たとえ子どもであっても、価値観、気持ちは人それぞれです。確かにまだまだ未熟な視点ではありますが、子どもにも子どもなりの意見があります。

自分の意見を大切にした上で、自分の考えとは違う相手の思いを尊重する心の広さを持つことは、親としても人としても大切なことだと思います。その姿勢を、親自身がお手本となって示すことも、教育として大切なことではないでしょうか。

子どもの人格を尊重する姿勢で向き合うと、子どもは、親が自分と同じ目線で共に考えようとしてくれていると感じ、頑なに心を閉ざしたりはしないんですね。

繰り返しになりますが、思春期というのは、子どもが大人になるための通り道であり、大人として自分を確立しよう、自立しようと必死でもがいている時期です。

子どもも子どもなりに、未熟ながら自分で考え、自ら行動しようとします。そんな子どもの歩みを、しっかりと理解してやり、その成長の過程に寄り添ってあげること。大人がすぐに答えを与えたり、求めるのではなく、あくまでも子どもの気持ちや考えを聴こうとする姿勢を、子どもに伝える事が大切なんですね。

そして、ここでも。子どもが何か話をしたときは、絶対に子どもの言葉を否定しないこと。

たとえ、明らかに子どもの意見が間違っていても、その場で否定することなく、全部聞いてやること。

子どもの間違いを正してやるんじゃなくて、子どもの今の気持ちを理解し、寄り添うことが大切です。

気の効いたアドバイスはいらない

「どうした?何か困っていることはない?」といった声をかけ、子どもの気持ちに寄り添う姿勢を示していれば、子供もだんだんと心を開き、誰にも話せずにいた思い、心の奥の辛さや苦しみを打ち明けようとすることもあるでしょう。

そんな時、大人はつい何かいいアドバイスをしなくちゃいけないような気になりがちです。真剣な話、本音を見せてくらたからこそ、何か意味のある気の利いた事を言わないとと思ってしまうんですね。

だけど、それをする事は、またもや自分の考える価値観だったり、一般的な善悪の判断を子どもに押し付けてしまうことにもなり兼ねません。

それでは、せっかく開きかけてきた子どもの心をまたもや遠ざけてしまいます。

このとき必要なのは、気の効いたアドバイスや立派な大人の意見ではなく、子どもの気持ちにより添い、その気持ちを汲んでやること。子どものありのままの思いを受け止めるように話を聴くことです。

子どもは、何か気の利いた言葉が欲しいのでなく、自分の辛かった気持ちや、苦しくてどうしようもなかった思いを誰かに分かってほしいんですね。

それは間違ってるとか正しいとか判断されるためじゃなく、ただその気持ちを温かく受け止めてもらいたくて話しています。それだけで心が癒されて安心できるものです。

だから、子どもの気持ちを聴いたら、「辛かったね」「苦しかったね」と、否定も肯定もなく、そのまま共感してあげること。

それだけで子どもは、救われたような気持ちになるでしょう。心さえしっかりと支えてあげれば、子どもは自分自身の力でなんとか問題を乗り越えて大人になっていきます。

子どもの問題は、子ども自身が考え、子ども自身が乗り越えていくしかありません。

だけど自分の判断が不安なときもあれば、自信が持てないときもあるでしょう。

そんな時は、ただその不安な気持ちを誰かに聞いてもらえるだけでも心が軽くなるし、そんな自分を受け入れてもらえたことで安心して、また心を強くもち直して進んでいくことができます。

大人になっても、これと同じような事はたくさんありますね。特に女性でしたら共感が多いかと思いますが、自分の苦しい思いを理解して欲しくて夫に伝えてみれば、ビシッと解決策を告げられて終わったり、そんなものは大した事ない言って話を切られてしまったり…。

そうなれば、「もう絶対にこんな奴に話すもんか、分かってもらえると思った自分がバカだった」と苦い後悔とともに決心することになってしまいかねませんね。

傷つけられることに耐性のある大人でも傷つくのですから、傷つきやすい思春期の子どもは、どんなにか深く傷つき、心の扉を閉ざしてしまうことかと思います。

そこで、もし何か意見を言ってあげたくなったら、自分の失敗談を話すことがおすすめです。

わたしたち大人は、子どもが失敗したり悩んでいるとき、ついつい良いお手本にならなければと思いがちですが、実は思春期の子どもが欲しいのはお手本のような立派な見本ではないんですね。

それよりは、親の過去の失敗談や、大人の欠点や未熟な部分を隠さずに見せて、そんな人間でも立派にやれているんだ感じることができれば、「少しくらい失敗しても大丈夫なんだ」と子どもは自信を取り戻り、安心して自分の力で立ち上がります。

親が隙もなく立派すぎると、「できない自分」を「ダメな自分」と思ってしまったり、「失敗はいけないこと」だと感じるようになってしまいますが、今が「できない」状態であっても、できるように努力をすればいいだけのことで「ダメなこと」ではありませんし、失敗しなければ人は成長できません。

どんなに失敗しても、できないことがあっても、へこたれずに自分なりの道をしっかりと進んでいく大人へと成長してほしいですよね。

そんな時は、自分の若い頃、子どもの頃の失敗談を打ち明けてみてください。自分よりも遥かに年上の親にも、人間の弱さやダメな一面があった。だけど、こうして立派に日々を送っているんだ。そう知った時、子どもは自分の弱さや欠点、失敗などと向き合う勇気をもらえるんじゃないでしょうか。

子どもに失敗談や自分のダメな一面を伝えること。それは子どものためだけでなく、親自身が自分の欠点や未熟さを受け入れることにもつながります。

失敗や挫折を否定するんじゃなく、失敗や挫折を乗り越える知恵を持つ事がなにより大切なんだと、私たち自身も改めて感じることができるんですね。

そして、子どもは、「今がダメでもいいんだ。大切なのは、それに立ち向かって乗り越える事だ」ということを自分自身で感じて、学んでいくのだと思います。

経験のすべては成長となる

子ども ゲガ

自分が失敗や挫折をしたとき、それをどう受け止めるかは、直接子どもの失敗をどう見るかにも影響してきます。

自分の失敗に対して、「失敗はいけないことだ」「こんなことではいけない」「自分は情けないんだ…」と思っていたら、子どもの失敗に対しても穏やかではいられないでしょう。

要は、失敗という出来事を悲観的にみてしまうんですね。

だけど、失敗とは一つの経験に過ぎない、という捉え方だって出来ます。

実際、失敗を繰り返して人は成長するものですよね。大人になっても、失敗はあります。だけどそれは情けないことでしょうか。それとも、何かにチャレンジした証拠でしょうか。もしくは、成功につながる一歩でしょうか。

自分の失敗を「いけないこと」「情けないこと」と捉えている限り、子どもの失敗に対してもその概念を通してしか見ることができないんですね。

ここで、捉え方を変えてみたとします。そもそも失敗や挫折は素晴らしい経験で、成長するチャンスでしかないんだと考えてみます。

そうすれば、子どもが何らかの問題につまづき、自信をなくしている時こそ、「それは自分自身を成長させてくれる貴重な体験であり、素晴らしい時間なんだよ」と伝える事ができます。

子どもの落ち込みや自信喪失にただ同調するんじゃなくて、大人が広い視野をもって現状を受け止めることができたら、子どもも狭い視野から解放されて、今直面している問題を「自分がクリアするべき壁」と捉えて前向きに取り組む希望をもてます。

大人への成長過程にある思春期の子供は、失敗や挫折をどう乗り越えて行くかという知恵がまだ浅く、大人が思う以上にちょっとした失敗や挫折に、深く傷ついてしまうものなんですね。

そんな状態の子どもにしてやれることは、過ぎてしまった失敗や挫折も取り返しがつくんだよ、と希望を与え、心が「失敗」ではなく「失敗を活かした未来」へと向くように視点を変えてあげることです。

子どものとる言動や手段はまだまだ未熟なものかもしれません。しかし自信をなくし、不安だからこその行動だったりします。

そういった未熟さを責めずに、言動の奥にある子どもの心に寄り添って話を聞き、「いいんだよ、またここから始めれば」と、いつでもどこからでもやり直しができる事を話して安心感を与えることで、子どもの心は持ち直します。

失敗や挫折は決して恥ずかしいことでも悪いことでもなく、それをバネにしてこれからの糧にできるという希望を伝えることで、子どもは未来に希望がもてます。

そうすれば、大人が多くを語らなくても、過去の出来事からたくさんの事を子ども自身がつかんで学んでいくと思います。それこそが大切なことだと思います。

私たちはいつも正しく、正解でなくてもいいということ。

人はいつも立派でいる必要はなく、時には情けなかったり、悩んだりして成長していくんだということ。

悩みや問題を抱える時間も、自分の大切な一部だということ。

大きな視野をもった大人がそれを理解して伝えてあげることが大切なんですね。

もし、今までに子どもに対して、過剰なまでに正しさや親の決めつけを押し付けてきたのであれば、それが原因で、子どもが苦しんでいたのであれば、もしかしたらそれもまた一つの「失敗」だったかもしれません。

だけど、失敗は、悪いことではないんですね。

それは成長するチャンスであり、自分のやり方を見直す良い機会なんです。むしろ、気付けて良かったというだけのこと。

過去は変えられませんが、そこから気付き、新しい未来はつくれます。

もしかしたら子どもの問題を通して、自分自身のあり方、子どもへの接し方を見つめなおすベストなタイミングだったのかもしれません。

子どもの選択の先にあるもの

Pusteblume im Wind

親は、子どもを愛し心配する気持ちから、子どもにとって安全で無難な道を歩んでほしいと願い、自分が良かれと思うように子どもを導こうとしてしまいがちです。

しかし、それはあくまでもその親が考える幸せの形なわけで、子どもにとって本当に幸せなことなのでしょうか。

たとえば、子どもに痛い思いをさせては可哀相だからと、行く道のすべての危険から子どもを遠ざけていては、いずれ子どもが大人になって一人で歩きだした時に自分で危険を察知して対処することが出来ずに、大ケガを負ってしまうかもしれません。

小さいケガを繰り返し、時には豪快につまずいてコケて血を流さないと、何をしたら危険なのか、どういうことに気をつけなければいけないのか、子どもは学ぶことが出来ません。

挫折や困難を知らないことが幸せなのか、それとも挫折や困難を乗り越える力をもっていることが幸せなのでしょうか。

繰り返しになりますが、失敗や挫折は、それをどう捉えるかによって素晴らしい成長へのチャンスにもなります。

生涯をかけて人間と潜在能力とを研究した心理学者のアルフレッド・アドラーの言葉で、「人の持つ脅威の性質とはマイナスをプラスに変える力である」というものがあります。

その生きる知恵を自ら学びとり、子どもが自分の力で問題を乗り越えていくことができてこそ、親としても安心できるのではないでしょうか。

そう考えると、失敗のない無難な道をいつも歩んでいくことが、正しい道なわけではない気がしますよね。

子ども自身が、自分の選択の先にある危険を察知できるようになったり、それに対する対策を考えたり、問題に直面したときにしっかりと対処できることが大切なのだと思います。

そして、そういった力は、やはり失敗や挫折を経験してこそ、培われていくものなんだと思います。

そういった子どもの貴重な経験を、前もって大人が排除してしまうと、子ども自身が困難に直面した時に、自分では解決できず苦しむ事になってしまいます。

子どもの失敗を回避させようとすることは、親としての愛情あってのことだと思います。しかし、子どもの人生を、親がずっと守ってやることはできないんです。

その人生で出会う困難は、子ども自身が引き受け、苦しみ乗り越えて行くしかないんですね。

変わってやれるものなら、変わってやりたいとどんなに願ったとしても、変わってやることはできない。

だったら、たとえ選択の先に失敗や挫折を経験して苦しい事があったとしても、そんな子どもの人生を信じて応援してやること。

もし失敗や挫折に行き詰っても、「大丈夫、きっとうまく行く!」という支えがあれば、人生の困難に立ち向かい自分なりの答えを出せる子なんだと、信じてあげること。

その時こそ、「いいんだよ、ここから始めれば」と、失敗の中から学びとり、そこから新たに子どもが見出した道を応援してやろう。

失敗のない人生なんてあり得ないし、挫折のない人間は成長できない。

そもそも100%安全な道なんてありえないんですね。

すべての石を取り除いた安全な道を歩ませる事は、決して子どものためにはならず、反対に、子どもの経験と成長の芽を奪ってしまいます。

私たちがそうだったように、子ども自身が失敗しなければ、何も学べないんです。

失敗して痛い思いをして後悔して、だからこそその失敗から何かをつかみとり、同じ失敗を繰り返さないように今後の人生に活かしていく術を身につけていくことが何より大切なんですね。

人生を大きく捉えてみる

この記事に書いてあることを頭で理解することは、そんなに難しいことじゃないと思います。だけど、それを実践するとなると難しい…。

これを実践するには、まずは親である自分自身が普段のものの見方を見つめ直し、出来事に対する捉え方を変え、視野を広げることが必要になるからです。

それから更に、思春期や反抗期を迎える難しい子どもを相手にするだけの、心の余裕が必要になりますね。

こっちがどれだけ良い対応ができたとしても、思い通りの反応はかえってこない。こっちがいくら忍耐強く待っていても、一向に変わる気配がない。

そんなとき、親自身の状態が良くないと、親の心が持ちません。

思春期、反抗期というものは、それ自体が成長に必要な過程なので、一筋縄ではいかないものだと思います。

こちらの思い通りになったら、それは反抗期ではないですもんね。

だから、子どもへの接し方、対応力を磨いても、思う成果がでなくて普通なのかもしれません。

そんなとき、大切なのは親自身の心の状態だと思うんですね。

ここで、カッなって親子関係を悪化させてしまうのか、それとも、子どもの成長っぷりを穏やかに受け入れることができるのかで、結果は変わってくるだろうと思います。

穏やかに受け入れるには、子どもの反抗期をどう捉えるかによって変わると思います。

子どもの反抗はいけないものと思うのか。

それとも、大人への成長の1ページと思って微笑ましく思うのか。

子どもの反抗期に手を焼くことは親として辛いこととするのか。

それとも、子どもが反抗期を迎えるまで元気でいてくれたことを喜ぶのか。

子どもが思い通りにならないのは、腹立たしいことなのか。

それとも、それだけ子どもにしっかり意志があるという頼もしいことなのか。

親を困らせる子どもとの思い出は、辛くて悲惨なものなのか。

それとも、手を焼いた子育ては、いつか懐かしく笑える思い出になるだろうと思うのか。

ものごとには、全て良い面と悪い面があるものです。

一見、歓迎できないような現象にも、必ず良い面というのもあるものです。

だけど、それは見ようとしなければ見えてこないし、私たちはつい、足りないものばかりを見てしまいます。

うまくいっていることは素晴らしいことではなくて「普通のこと」。

足りているものはあまり気にならないけど、足りないものはやけに気になる。

子どもの性格にだって、良い面と悪い面が必ずあります。

長所の裏には短所があり、短所の裏には長所があるものです。

一つの事実は変わらなくても、そのものごとのどの面を見るかだけでも、その意味づけは大きく変わってきます。

そんなことをして何の意味があるのかと思うかもしれません。

子どもが思春期で扱いにくく反抗しているのに、呑気に良い面なんかを見てても、事態は何も変わらないじゃないかと思うかもしれません。

そう、どの面を見たところで、事態は変わらないんです。

だけど、どうせ変わらないなら、良い面を見た方がいいんじゃないでしょうか。

良い面を見ることができれば、その事態に対する心の余裕が出てくるからです。

良い面を感じることで気分が良くなります。良い気分の時は、視野が広がり、相手に対しても冷静な対応ができます。

同じ事態であっても、どの面を見るか、どう捉えるかによって、自分の気分、感情を変えることができるんです。

どちらの面を見ることが正解かなんてことはありません。

ただ、目の前の出来ごとをすべて悲観的に見てしまうより、肯定的に捉えてみる方が、気分は良くなると思います。

そしてそれは、人を見るときにも同様です。

同じ自分なら、良い面を見てくれた方が嬉しいと思うのは、きっと私だけではないでしょう。

子ども自身、自分の未熟さは分かっていると思います。だから葛藤があったり、イライラもする。そんなとき、自分の悪い面でなく、良い面を見てくれる人がいれば…。どんな気持ちになるでしょう。

良い面を拾って見てあげる、良い意味づけができる捉え方をしてみることは、自分だけでなく、相手の心も救います。

そのためにも、自分の状態を良くする捉え方をして、良い状態の自分で物事に向き合えば、きっと新しい道が開けるんじゃないかと思うのです。

※今回、思春期の子どもとの関わり方を書くにあたって、参考にさせていただきました。この記事には載せきれないほど、たくさんの心得や大切なことが書かれていますので、ここで書いているものとは比べ物になりません。一読されることをおすすめします。

 

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2 Responses to “中学生の子育てに疲れた…思春期・反抗期の接し方”

  1. 伊藤玲 より:

    ありがとうございます。
    とてもやくたちました。守破離ということは本当にそのままです。初めてで涙目になりました。

    • トミー より:

      伊藤様

      コメント頂きありがとうございます。
      子供の守破離に大きな目で付き合えるといいですね(^-^)

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