情報操作されず、自分の感性で生きる

ネットニュースや雑誌の記事、情報誌からおしゃれ本など、色んなものから、私たちは情報を得ている。

街角やお店、電車の中で何気なく目にした言葉。

テレビや音楽、赤の他人の会話から何気なく聞こえてくる言葉。

いつの間にかそんな外からの声が、自分の中の「常識」を形成していく。

「○歳で○○はイタイ」こんな文面を見ると、つい気になって読んでみたり。

「こんな女は嫌われる」こんなテーマのテレビがやっていると、つい見てしまったり。

「こんなご近所トラブルには気をつけろ」

「こんな友達は要注意」

「隠れ○○には気をつけろ」

とにかく、世間は不安や恐怖をあおってくるし、自信満々に書かれていると、それが真実だと思いこんでしまう。

しかし、こんな時代だからこそ思う。

もう、誰かや何かが言っている情報や言葉に惑わされるのはやめよう。

「こんな女は嫌われる」

以前はこれを参考にしていた。

イタイ女になりたくないと思っていたからだ。

だけど今はこう思う。

誰かの感性に沿って窮屈に生きるよりも、

別にイタくても構わないから、自分の感性に従って笑って生きていたい。

「○歳がやるべきメイク」
「こんな服装はイタイ」
「こんな髪型はもう古い」

一体誰がそう決めたのだろう。

「大多数の人がそう思っているんだよ。」というかもしれない。

でも、自分の中に確固たる意見がないものに対しては、人は大多数の意見に流されがちだ。

きっと最初に自信満々にそれを言った人がいて、教科書のようにハッキリとそれを書いた人がいて、意見を持たない大多数の人たちが「確かにそうだ」と思い込んだのだ。

そして自分で考えようとしない私も、その大多数の中にいた。

そして、その思い込みの色メガネを通して、他人や世の中を見ていた。

でも今、誰かや何かの情報ではなく、自分の心で感じる私はこう書きたい。

何歳になっても、自分を好きになれるメイクをすればいい。
鏡を見て、あなた自身が気分が良くなれば、それが今のあなたに似合うメイクなのだ。
何歳であっても、自分の着たい服を着ればいい。
それを誰がどう思おうが、あなたの預かり知るところではない。
あなたはあなたの好きな物を身につければいいのだ。

○歳はこうであらねばならない。
男は、女は、こうであらねばならない。
妻は、夫は、こうであらねばならない。
母や、父は、こうであらねばならない。
こう生きねばならない。
素敵な人とはこういう人だ。
○○は避けなければならない。
センスがいいとはこういうことだ。
スタイルがいいとはこういうことだ。

誰かが、何かが、そういう情報を、自信満々に言ったのだったら

あなたはまた全く別の自分の言葉で、あなたの思うそれらを書けばいいのだ。

あなたの人生に、誰かの言う「こうであらねばならない」なんていらないのだ。

あなたは何を思うのか。

あなたの感性は何を求めているのか。

あなたの心は何て言っているのか。

何を素敵だと言っている?

どうなりたいと言っている?

もし、何も言っていない、

何も感じないのであれば、

それはそれでいいのだ。

今は何も感じない。

今は何も求めていない。

それが、今のあなたの答えであり、今の素直な気持ちであるということ。

それを誰がどのように思おうが、あなたの預かり知るところではないのだ。

私はそう思うようになってから、

世間に常識を探すのをやめた。

誰かが言っている感心出来ない言葉を聞くのをやめた。

もっと素敵な言葉がある。

もっと聞きたいものがある。

もっと胸躍る感性がある。

もっと優しい人はいるし、

もっと賢い人もいる。

私が見ていなかっただけで、

知らなかっただけで、

知ろうとしていなかっただけで、

本当はもっと優しくて、もっと楽しくて、もっと感動に満ちている世界はあるのだ。

誰かが自信満々に書いたなら、私も自信満々にこう書こう。

自分の心が信じるものを大切にすればいい。

誰かや何かの情報ではなく、自分の中にあるその感性を大切にすればいい。

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